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ちおん和尚

Author:ちおん和尚
千葉県智恩寺から、今月のお話をお届けします。
あなたとのつながり、縁を大切にしたい。
ひとりじゃないこの世。大切にしたいあなたと
わたしのつながり・・。

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ブログ 智恩寺
あるがまま。その一瞬に感動を!
立石寺と松尾芭蕉
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
松尾芭蕉が立石寺=山寺に参詣したときに詠んだ有名な句である。
去る8月17~18日に掛けて家内と立ち寄った名刹天台宗の奥の本山。
麓の泊宿に着くなりすぐさま1015段の階段に臨んだ。
外気温34℃、本堂(根本中堂)から足を階段に着かせ奥の院まで進めた。
暑さに負けじと蝉の大合唱。身体から零れる汗の粒。階段を上る切なさ。
壮大な杉群や岩山。そこに溶け込むかのような伽藍の配置。大勢の参詣者。

芭蕉の詠んだ「閑さ」とはなんだろう・・  「岩にしみ入る蝉の声」とは・・・
 
物事に熱中していると周りの音が聞こえなくなったり、
集中し、周りの声が遠くに響き、自分の周りが静かになる感覚を指すのだろう

それにもまして蝉の声が響いている、岩にまで染み込むほどの声だ。

また「閑さや」の「や」もまた魅惑の韻である。
「閑だなぁ~   」といったところか。
芭蕉は、
「奥の細道」の東北旅の中で、訪れた山寺を見て、感じたことを、精神の世界
にまで高め、それは実景と精神の世界の融合とでもいうことで評価されている
句であると某解説書は説いてる

約2時間の拝登であったが、しっかりと芭蕉の風光と立石寺の趣を肌で感じ
暑かったが、静寂の中の自分と蝉の声が季節の終わりを告げているように
感じた。今度は紅葉の時節にご縁があったら訪れたい。
六道輪廻 ~あたなは何処に~
今年も勤務先のお寺の回廊には地獄絵図が飾られていました。(7/7~7/15)
仏教には「六道輪廻(ろくどうりんね)」という教えがあります。
生きとし生けるすべての物はこの世に生まれ平等に帰って逝く。一つ一つの
生き物が死ぬとまた別の生き物として生まれ変わると謂われる。これを輪廻
と云い。そして生まれ変わる世界は、天上・人界・修羅・畜生・餓鬼・地獄と分
かれていてこれを六道と云います。

七日七日に生まれ変わり、遅くとも四十九日までにはどの世界に生まれ変わ
るかが決められると云われます。
死者は七日ごとに裁判を受けます。
初七日に秦広王(不動明王)に裁かれ、罪の決まらない者たちは、三途の川
を渡って先へ行くが、罪の深い者ほど川の深いところを渡らなければなりません。
そして渡り終えた途端に、みんな奪衣婆(たつえば)に着物を剥ぎ取られ・・・・。
二七日(ふたなのか)には初江王(釈迦如来)に裁かれます。
三七日(みなのか)には宋帝王(文殊菩薩)、四七日(よなのか)には五官王(普賢
菩薩)が、五七日(いつなのか)には閻魔大王(地蔵菩薩)に裁かれます。
閻魔大王が善い行いや悪い行いが書かれた物を読み上げると、死人は「私は
そんな悪いことはしていません。」と、ごまかそうとします。
しかし、閻魔大王の鏡には、生前の行いが全て映し出されるので、嘘をついても
すぐに解ってしまいます。
六七日(むなのか)には変成王(弥勒菩薩)、四十九日に泰山王(薬師如来)に
よって、最後の判決が下されます。

これによって六つの世界のどれかに行くことになります。
その一つが地獄ですが、他には、餓鬼・畜生・修羅・人界・天上があります。
自分ばかり美味しいものを食べていると餓鬼になって、食事をしようとすると
火になって食べられません。畜生は人間以外の動物です。修羅は争いばかり
している世界です。人界は人の世で、天上は仏さまの世界です。

一年ぶりに我が家に戻られたご先祖様。
三日間お持て成しをして、語り明かし
ましょう。罪深き我が身我が心を問いかけられるのもお盆の大切な行いでしょう。
あるもの、ないです。
北海道新聞卓上四季に掲載されていたコラムを拝借する。
「堪忍袋の緒」や「左うちわ」、「口車」や「地獄耳」、「転ばぬ先の杖」・・・。
そんな緒やうちわや車や耳や杖・・・ あったら見てみたいのは私だけだろうか。
いわゆる「ないもの、あります」の反対語とでもいいましょうか。

このコラムをみて早速その本を発注したがまだ手に入っていないので確信がなく説得力に
欠けるがお許しいただきたい。書いていて要らぬ想像が頭を巡るのである。
kラムはさらに続く。
「どさくさ」は、人間そっくりで丈が高く密生する草。
煩わしいことがあったとき、何千本もの「どさくさ」が現れて取り囲んでくれるので
紛れて逃げ出される・・・・・・。

大分前にそんなことを思ってか実家で両親を交えて食卓を楽しくしたことがある。
それは・・ 「かまいたち」という言葉である。

改めて辞書で調べてみると『鎌風ともいう。道などを歩いているとき、突然鎌で切られたような
傷を受ける怪異現象の一つ。出血もなく、痛みも感じない。』とある。

「かまでイタチを懲らしめる」とか「かまとイタチは相反する?事柄だから」だとか、夕餉の
食卓は収拾がつかなくなってしまった。
そこにタイミングよく父親が辞書のことを知ってか冗談を交えながら語ったことが懐かしい。

函館は今月お盆である。お盆なのにお盆のお話をせず申し訳なく思っている。
はやくその本の到着が待ち遠しい。

遺憾って何?
『思い通りでなく残念なこと。残り惜しく思うこと』
「遺」という漢字には「忘れる・失う・残す」という意味があり、「憾」という漢字には
「うらみ_(心残りに思うこと、残念に思うこと)」という意味があるようです。

謝罪会見でよくよく耳にするこの言葉、
謝罪やお詫びの意味はないように思えます。謝罪やお詫びをする場面で
「大変遺憾です」といった言葉だけを使うのは、「謝罪していない」「詫びていない」
と思われてしまいます。

言葉尻だけでその場を凌ぐような、他人事のような・・「とりあえず繕っていれば・・」 
そんな魂胆が見え隠れしてなりませんね。
また、平仮名の「いかん」とは「いかんともしがたい」「いかんです」などと使われている
「いかん」のことのようです。
元々は「いかに」でしたが、「いかん」と云いやすい言葉に転じていったそうです。
そして「いかん(いかに)」は漢字で表記すると「如何」となり、「事の成り行き」
「その状態、次第」というようです。さらに「どうであるか」などと文末に用いて
疑って問う意味を表しているようです。

この遺憾、ニュアンスが悪しき表現のように聞こえ感じますが、
「遺憾なく発揮する」という「遺憾」。
遺憾が無いなので「心の残りがないほど十分に、申し分なく」と前向きな言い回しに
好感が持てます。

あまりにも遺憾!イカン!・・と発する世に一言云わせて頂きました。


そこに際あり、際がある。
際=きわ と読む場合と 際=さい と読む場合がある。
どうして急にこんなことを思ったかというと、いま校正している日は『平成』
あと二日で幕を閉じる。
そしていまこのお話しを開いてみた貴方、『令和』の時代となった。
たった三日経っただけなのに心身新たになったような気がする。
まるでお祭り騒ぎのようだ。

さて、
私はこの文字を見たときにすぐ浮かんだのは「引き際」であり「瀬戸際」であった。
いまでも思うところに、あの時こうしていたら違った人生になっていたのに あの時の
出会いをプラス思考に考え実行していたらどうなっていたのだろうと懐古している。

この「際:きわ」、辞書を開くと1、あともう少しで別のものになろうとするぎりぎりのところ
2、あるものにきわめて接近したところ 3、物事がそうなろうとするまさにそのとき
4、物事の極まるところ 5、身分。家柄。 6、才能・器量などの程度 7、ほどあい
8、江戸時代、年末・節季の決算期

次に
「際:さい」、1、とき。場合。機会。 2、物と物との接するところ 3、出会う 
4、接して交わる 
思い出すのが「交際」「国際」「実際」など・・・。

「きわ」は線から面への移行部分であり、「さい」は点から線への基であろう。
常無きものは何一つないと法事等で今日も豪語したが、点を線に 線を面に変える
役割は僧侶である自分にあると思う。

そこに桜が謳歌している
《散る桜、残る桜も 散る桜・・・》
函館は令和元年初日、満開である。
平成の際と令和の際・・・・。そこに際あり、際がある。
良き時代となりますように・・。