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ちおん和尚

Author:ちおん和尚
千葉県智恩寺から、今月のお話をお届けします。
あなたとのつながり、縁を大切にしたい。
ひとりじゃないこの世。大切にしたいあなたと
わたしのつながり・・。

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ブログ 智恩寺
あるがまま。その一瞬に感動を!
修行を導いてくれた老師の死
「オクムラ~ 眼の具合が悪いから 運転してくれる?」
8月11日成田市のお寺にお邪魔してすぐにお願いされ、なんと愛猫の餌を買いに
同行した。なんの身体の疑いもなくお寺を後にしたが、先月15日突如として遷化
してしまったのである。
聞けば「66歳」、糖尿病からくる合併症で亡くなったとは通夜に駆け付けて弟さん
から聞いた。さらには日頃の不摂生!だと兄への思いをぶつけていた弟さん。
そんなこと未だかつて一度も云わずはぐらかしていた老師いやSさん。
私が修行の門を叩いたときに最初にお逢いし導いてくれた方である。
同郷という事で表には出さなかったが陰で応援してくれた方だった。
大先輩なのにため口を許してくれたこころ広い方だった。
また息子の就職先を心配して戴いた方だった。

そんなSさんのことを『優柔不断な人だった』と云っては叱られるだろうか。
その四文字は一般的に負のイメージが強い。 
ある解説書に『優柔不断な人に共通する9つの特徴と心理』と題して説明されていた。
 その1、二者択一であってもなかなか決められない
 その2、過ぎたことを必ず何度も振り返ってしまう
 その3、あらゆる可能性を考えないと不安で仕方ない
 その4、一度決めたと思ってもまたすぐに迷いはじめてしまう
 その5、周囲の人の様々な意見に耳を傾ける
 その6、もっとよい方法や考えはないか追及し続ける
 その7、みんなが気を悪くしないように最大限の配慮をする
 その8、リ-ダ-シップをとりたがらない
 その9、「なんでもいいよ」など具体的な返答を控えるのが定番

そのどれもいい意味でそっくり?である。
Sさんらしさがにじみ出ている・・・。
時として横道に反れるとヒントを出してくれる。決してこうだという決定打がない。
自らは一番ではいない、いられない、いようとしない。
みんなに親切。自分にも他人にも人当たりがよく優しすぎる。

改めて優柔不断という熟語とSさんにお逢いできたことにこころから感謝したい。
残念至極・・・・。
「人から物でもお金でもお心遣いを頂いたら決してその場で返すものでない。
相手の気持ちを踏み躙ることになる。後でよく考えてその厚意が自分に見合うか
どうか見合うだけの気持ちを伝えることだ」
私はSさんの名言だといま改めて肝に銘じている。
『悩みは人生の転機である。 人間の信仰心の生まれる時である』
日頃厚意にしている東京の方からの心情と回顧の綴りをいただきました。
そっくりそのまま紹介します。
 
 本の中のこの言葉に出会い、ふと昔のことを思い出しました。
 9歳の時、弟を生んだ母の産後が思わしくなく、母も何を思ったのか
 私を枕元に呼んで遺言らしきことを云うのです。
 9歳の子には受け入れがたい事で泣きました。できる事は、神仏に祈る
 ことだけ・・・。「神様、母を助けてください・・」と。 ドラマのようですが
 本当の話です。その祈りが聞かされたのか、母は助かりました。
 それ以来、いつも神仏のことが頭をかすめ、祈るようになりました。
 大人になるにつれて忘れていたのですが、今思えば私の信仰心は
 その時に生まれたのだと思います。
 その後は大きく道を踏み外すこともなく、今の暮らしに辿り着きました。
 今が幸せなのは、その時に信仰心が芽生えたお陰なのかもしれません。
 母からの大きなプレゼントでした。
 また、母も小さいときから苦労して育ったと聞いています。父が亡くなった
 のち、朝晩神仏に手を合わす姿を見せてくれました。
 朝は、まずお仏壇にご飯を供え、神棚の水を取り替え、それから朝食でした。
 毎日、毎日、お線香のたなびく中での食事は、何かに守られている気持ちで
 心地よかったです。
 母にも悩みのなかで信仰心が生まれたのでしょう。晩年は幸せでした。
 「試練は成長のチャンス」を信じれば、悩みも何かを気付かせてくれる
 チャンスなのかもしれませんね。
                               Y氏95歳 男性
お彼岸です。
『人の振り見て我が振り直せ』
若いころ先輩からよく謂われた言葉です。
自らの確認だと思います。
所作言動に気配り心配りをせよ!という事だと思います。
差もすればどうしても自分勝手になりがちな我が身美我が心・・・・。、

ある会社の受付をしている方から聞いたことがある。
この「人のふり見て我がふり直せ」を思いだすことがあるという。
それは、個人経営の病院へ行ったときのこと。
個人経営の病院は院長の考え方次第なので対応にバラエティーがあるという。
中には『患者=顧客』という意識の薄い人がいるのかもしれない。もちろん、院長が
よくできた人の場合には、人員の選定から教育までキチンとできているので、受付の
対応もしっかりしている。だが、経営や人員管理に興味のない人であれば、対応が
なおざりになることもある。これを実践すると、他人とのコミュニケーションにおいて
生じたイライラを、ある程度抑えることができ、自分の言動や態度の見直し&改善、
ひいては成長につなげることができる。なので、イラッとしたときは、このことを思い出し、
「人のふり見て我がふり直せ」と呟けばいいと覚ったという。

ある病院の受付の人の例を出したが、その人に悪意があるわけではなく、悪い人という
わけでもない。ただ、有効なコミュニケーションのやり方を知らない、というだけだ。
大人になると、注意してくれる人もいなくなる。なので、自分で気付いて改善していくしかない。

人間性回復週間と私はお彼岸をそう呼んでいる。
とりもどそう!人間としての私・・・。間を大切に!
お盆のこころ
今年もここ函館はお盆がやってきました。
私は、お盆の心を別の角度からみると「先祖と私の罪滅ぼし」にあると思います。
すなわち、我が子、我が家可愛さのあまり不本意ながらも、時に餓鬼のような
欲に走り、人さまに迷惑をかけたかもしれない先祖の「成仏」がはたせるために
そしてまた、今生きる私自身の中に潜む餓鬼のこころを追い払って、先祖と私が
共に等しく「成仏」できるようにと営まれる行事がお盆であります。
いわば両者の「罪滅ぼし」の行であるわけです。
さて、それでは両者が共に餓鬼道から救われてができるためにはどうしたら
良いのでしょうか。
それには少しでも多くの人々に物心両面での「施し」をすることです。
だからお盆には親戚縁者はもちろんの事、有縁無縁、生者亡者を問わずに
いわゆる「供養」が盛大に行われるわけです。
たとえば、無縁者の霊を呼ぶために、施餓鬼棚を玄関先に設けたり、我が家の
先祖の位牌と共に、三界萬霊の位牌を祀って供養をし、あるいは川の魚や山の
動物たちにも食べ物を施すなどの風習が伝えられているのもこのことからです。
要するに自分だけ、身内だけを可愛がり、我が家の先祖供養だけに留まって
いたのでは、本当の救いは得られないということです。
自他共に幸せになることを願い、自他同時に救われる歩むというのが
お盆のこころです。
良きご供養をお願いいたします。
樹木葬
先月好意にしていた方の初命日と納骨法要を町田市某浄苑で勤めました。
函館にはないが『樹木葬』をさせて戴きました。
以前、千葉の某寺の樹木葬場を見学させていただいたがここまで
進んでいるとは夢にまでも思いませんでした。
樹木葬でも色んなパタ-ンを揃えています・・・・。
命名が揮っていて  昴、桜の里「陽だまりの詩」「葉音」、詩桜里、縁の庭「凛」、
樹木型墓地「花」、桜葬「あやね」、樹林墓地「桜葬」・・・・・・・。
ここまでくると固定概念が悉く崩れてしまいます。
古来からの墓石が遠く見えてしまいました。そこには永代供養も付加されていて
”後継ぎ不要””管理費不要”さらには”ペットと一緒も可”とまでパンフレットにあります。

ともあれ、故人も納得した上での樹木葬。墓地墓苑の公園化は知る所でしたが、
このような環境にも死後にも安らぎを提供しているようで新鮮に映りました。
納骨後の点心(供養膳)では故人の生前の死生観や思い出話に花が咲きました。

母の昇天ではないけれども、少し前まで階下で闘病していたのに今は最上階での
お別れの儀式が行われていました。階から観ると遠く潮風と波の音が聞こえるような
背景に先程まで闘病していた母の姿が安らぎに変わっていました。

葬送の自由とはいいますが、全身全霊に心地よい風が誘うそんなエンディングが
求められているようです。
と同時に橋渡し役である、私たち僧侶の立ち位置をもう一度考えなくてはと改めて
思いました。